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「盛田昭夫」を語る

キミもがんばれ

1

出会い、そしてニューヨークで(1)

盛田さんとの出会いは、今から60年以上も前の、中学時代(愛知一中)にさかのぼります。性格的には何事にも積極的な行動派の盛田さんと、控えめな慎重派の私と、両極端の性格でしたが、不思議とお互いに惹かれ合うものがありました。そして盛田さんとは学生時代よく一緒に過ごしました。映画鑑賞、郊外の散策、ときには泊りがけの小旅行、温泉宿でのスキー合宿など、これらの計画はいつも盛田さんからの誘いでした。

そのなかでの、一番の思い出は上高地への旅行で、途中、釜トンネルに入ったときは、一寸先も見えない真っ暗闇で、上から水滴が激しく降りかかり寒さがひどく、身に危険を感じた私は彼に、戻ろう、と言いましたが、もう少し行こう、と手探りで進むことになり、小1時間あまりで漸く光が見えてきて、ほっとして生き返った思いがしたものです。予想もしなかった彼の強い一面を知り、驚きました。

戦争中は学徒動員徴兵で海軍に入り予備少尉に任官し、人間魚雷回天の母艦の一等輸送艦乗り組みを命ぜられました。終戦の年、サイパンからのB29の連日の本土空襲の関係で、同島近くの鳥島電探基地に緊急オイル輸送の命を受け、横須賀に立寄った折のことです。以前、手紙で盛田技術中尉が逗子の研究所にいることを知らされており、陸上では甘いものの入手が困難と聞いていたので、手土産に酒保の小豆の缶詰を持って陣中見舞いに行き、夜は下士官専用料亭パイン(小松の海軍用語)で酒食を共にしながら、夜遅くまで話し合いました。

復員後は名古屋の貿易会社に入社しました。1953年、アメリカ出張を命ぜられ、羽田からB29を改造したパンナム機で渡米するため、東京に行きました。当分は盛田さんと会えなくなるので、御殿山の東通工へ行き渡米の話をしたら、彼は開口一番、「オーそうか、ちょうどよい。オレも今年の夏にニューヨークへ行く予定なので、ぜひ向こうで会おう」と応じ、日程の打合せをして別れたのです。

予定通り無事NYで落ち合い、1週間ほどいろいろなところを見て回りました。とにかく一番うれしかったことは、自由に日本語で思う存分話し合えることでした。早速NY見物の計画を立て、マンハッタン島を遊覧船で一周して島全体の土地カンを頭に入れ、

マンハッタンの遊覧船(サールライン)でくつろぐ盛田さんと稲垣さん
マンハッタンの遊覧船(サールライン)でくつろぐ盛田さんと稲垣さん


それから夜のネオンの輝くタイムズ・スクエアで土産物屋を覗いたら、そこでInstant Photo Boothを見つけました。どの程度に写るのか試してみようと二人で入り、コインを入れるとフラッシュが出て即座に写真が出来上がり、案外見られるなあとお互いにうなずき合いました。


インスタント・フォトブースの記念写真、盛田さんと稲垣さん
インスタント・フォトブースの記念写真、盛田さんと稲垣さん

その後、食事をしようと歩き回り、チャイニーズ店を探したが見当たらず、どこか他をと歩いているとAutomatという大きなサインの店がありました。覗いてみると、道路に面したガラス窓越しにありとあらゆる食物が皿に盛られていて、表示額のコインを入れるとKeyが外れて、中のお皿がとり出せる仕掛けになっており、間違いなく自分のほしいものが食べられる便利な食堂です。またアメリカの珍しいものを発見したと二人で喜び合いました。

次は世界最高のEmpire Stateビルに登り、上から町を眺めました。またある日は、盛田さんがどこで調べていたのか、面白い映画があるから見ようと行って、20世紀Foxの特設映画に連れていかれました。This is CINERAMAという3台の映写機で巨大なスクリーンに映し出される方式です。画面を見ていると、自分の座席が大きく揺らぐようで、臨場感にあふれ、危機一髪というシーンでは、客席からもキャー、キャーという叫び声で、全く物凄い迫力でアメリカの映画技術には肝をつぶしました。

美しい巨大なBrooklyn Bridgeを歩いて渡ろうということで行ってみましたが、橋の中央の銅版の説明書にはこの橋の竣工が1883年(明治16年)とあり、こんな大きな美しい橋を明治の初めにつくり上げたアメリカの技術力に驚き、よくもこんな国に戦争を挑んだものと日本の無知加減を情けなく思いました。

ここからさらに、有名なConey Islandという遊園地に行き、お目当ての最大級のRoller CoasterでJet Coasterと呼ばれているものに乗るときに、改札係の女性が盛田さんに眼鏡は外してポケットに入れて下さいというので、これは危ないなと予感しました。しかし、うしろにも大勢の人々が続いているので不安ながらもそのまま乗りましたが、これが大変な代物で、振り落とされるのではないかと座席の下まで腰を落とし懸命にハンドルにしがみつき、全く死ぬ思いでした。地上に下りてからも二人とも真っ青な顔をして、互いに二度と乗るまいと語り合いました。 【Vol.2 へ続く】

故 稲垣 茂 (2001年 記)

(当時:The Japan American Association of New York Inc. )

※『キミもがんばれ』は、2001年2月、ソニー北米関係有志によって、盛田氏の思い出をまとめた文集(非売品)です。

キミもがんばれ 一覧

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