西 暦 (年 号) |
年 齢 | 月 | 年 譜 |
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1921年 (大正10年) |
0歳 | 1月 | 1月26日 愛知県名古屋市に父・久左エ門、母・收の長男として誕生。盛田家は400年近く続く造り酒屋であり、昭夫は15代目の跡継ぎ |
1933年 (昭和8年) |
12歳 | 3月 | 愛知県第一師範学校付属小学校卒業 |
1938年 (昭和13年) |
17歳 | 3月 | 愛知県第一中学校卒業 |
1942年 (昭和17年) |
21歳 | 3月 | 第八高等学校理科卒業 |
4月 | 大阪帝国大学理学部物理学科入学 | ||
1944年 (昭和19年) |
23歳 | 1月 | 海軍委託学生となる |
5月 | 前月発令された学徒動員令により、海軍技術学生として、横須賀の海軍航空技術廠支廠勤務。その後、しばらくして、大阪帝国大学への出張が許可され、研究に従事する | ||
9月 | 大阪帝国大学理学部物理学科卒業。海軍技術見習尉官として浜名海兵団に入団、訓練を受ける | ||
1945年 (昭和20年) |
24歳 | 3月 | 海軍技術中尉に任官、横須賀の航空技術廠支廠勤務 |
3月 | 戦時研究委員会で井深大(ソニーファウンダーで元ソニー会長。当時、日本測定器常務)と出会う | ||
8月 | 出張中に立ち寄った家族の疎開先、愛知県小鈴谷で、終戦を迎える | ||
10月 | <東京・日本橋白木屋(元・東急百貨店)内に、井深が東京通信研究所を設立> | ||
朝日新聞のコラム「青鉛筆」で井深が会社を設立したのを知り、井深と再会 | |||
1946年 (昭和21年) |
25歳 | 5月 | 東京通信研究所を改組して、井深とともに資本金19万円をもって東京通信工業株式会社(現ソニー株式会社)を設立、取締役に就任 |
1947年 (昭和22年) |
26歳 | 1月 | <東京通信工業株式会社の本社および工場を東京都品川区に移転> |
11月 | 東京通信工業株式会社、常務取締役に就任 | ||
1950年 (昭和25年) |
29歳 | 7月 | <日本初のテープレコーダー「G型」を発売> |
11月 | 東京通信工業株式会社、専務取締役に就任 | ||
1951年 (昭和26年) |
30歳 | 5月 | 三省堂社長 亀井豊治、たま夫妻の四女・良子と結婚 |
1952年 (昭和27年) |
31歳 | 2月 | 長男・英夫誕生 |
1953年 (昭和28年) |
32歳 | 8月 | 初の海外出張。アメリカ、ヨーロッパを3ヶ月かけて歩く。オランダのフィリップス社を見学し、東通工も海外に進出することを決意する |
10月 | 磁気テープ工業会(現社団法人日本記録メディア工業会)発足、初代理事長に就任 | ||
1954年 (昭和29年) |
33歳 | 9月 | 次男・昌夫誕生 |
1955年 (昭和30年) |
34歳 | 8月 | <日本初のトランジスタラジオ「TR-55」発売> |
1957年 (昭和32年) |
36歳 | 2月 | 長女・直子誕生 |
3月 | <世界最小のポケッタブルトランジスタラジオ「TR-63」発売。本格的輸出の第1号> | ||
1958年 (昭和33年) |
37歳 | 1月 | <社名をソニー株式会社と変更> |
12月 | <東京証券取引所上場> | ||
1959年 (昭和34年) |
38歳 | 12月 | ソニー(株)、代表取締役副社長に就任 |
1960年 (昭和35年) |
39歳 | 2月 | 米国にソニー・コーポレーション・オブ・アメリカを設立、取締役社長に就任 |
5月 | <世界初のトランジスタテレビ「TV8-301」発売> | ||
12月 | スイス・ツークに現地法人の販売会社ソニー・オーバーシーズ・SAを設立、取締役社長に就任 | ||
1961年 (昭和36年) |
40歳 | 6月 | <日本企業として初めて米国でADR(米国預託証券)を発行> |
1962年 (昭和37年) |
41歳 | 10月 | <ニューヨーク5番街にソニーショールームを開設> |
1963年 (昭和38年) |
42歳 | 6月 | 家族を伴い、米国に駐在 |
7月 | <世界初のオールトランジスタ小型VTR「PV-100」発売> | ||
1964年 (昭和39年) |
43歳 | 7月 | 父・久左エ門、逝去 |
1965年 (昭和40年) |
44歳 | 3月 | <米国テクトロニクス社と折半出資でソニー・テクトロニクス株式会社を設立、代表取締役社長に就任。いわゆるジョイントベンチャーの第1号である> |
8月 | <世界初の家庭用VTR"ビデオコーダー"「CV-2000」発売> | ||
1966年 (昭和41年) |
45歳 | 4月 | <銀座・数寄屋橋角にソニービルを完成、オープン> |
1968年 (昭和43年) |
47歳 | 3月 | <シービーエス・ソニーレコード(株)を設立、代表取締役社長に就任(1988年ソニー100%出資、1991年4月(株)ソニー・ミュージックエンタテインメントに社名変更)> |
5月 | <英国ソニー・(ユーケー)・リミテッドを設立、代表取締役に就任(1993年4月、ソニーユナイテッド・キングダム・リミテッドに統合)> | ||
10月 | <"トリニトロン"カラーテレビ「KV-1310」発売> | ||
1969年 (昭和44年) |
48歳 | 3月 | 米国モルガン銀行国際委員会委員に就任 |
1970年 (昭和45年) |
49歳 | 4月 | <ニューヨークのタイムズスクエアにSONYのネオン点灯> |
9月 | <ニューヨーク証券取引所上場> | ||
1971年 (昭和46年) |
50歳 | 4月 | 米国「タイム」誌の表紙に登場、"ジャパン・イノベーター"と称される |
6月 | ソニー(株)、代表取締役社長に就任 | ||
1972年 (昭和47年) |
51歳 | 3月 | IBM・WTC社の取締役就任 |
1973年 (昭和48年) |
52歳 | 5月 | <カラーテレビ"トリニトロン"にエミー賞> |
1976年 (昭和51年) |
55歳 | 1月 | ソニー(株)、代表取締役会長に就任 |
1979年 (昭和54年) |
58歳 | 8月 | <米国プルデンシャル生命保険と折半出資でソニー・プルデンシャル生命保険株式会社設立、取締役会長に就任> |
1980年 (昭和55年) |
59歳 | 4月 | パン・アメリカン航空会社取締役就任 |
1981年 (昭和56年) |
60歳 | 11月 | 社団法人 経済団体連合会国際投資技術交流委員会 委員長就任 |
1982年 (昭和57年) |
61歳 | 4月 | 東京フィルハーモニー交響楽団会長に就任 |
1984年 (昭和59年) |
63歳 | 5月 | 社団法人 日本電子機械工業会 会長に就任 |
1986年 (昭和61年) |
65歳 | 5月 | 社団法人 経済団体連合会 副会長に就任(1992年5月に退任) |
1988年 (昭和63年) |
67歳 | 4月 | 対米投資関連協議会 会長に就任(1989年9月より 社団法人海外事業活動関連協議会に改称。1995年5月より名誉会長) |
12月 | 母・收、逝去 | ||
1989年 (平成元年) |
68歳 | 7月 | 社団法人 日本イベント産業振興協会 会長に就任 |
11月 | <米国コロンビア・ピクチャーズエンタテインメント・インクを買収(1991年8月ソニー・ピクチャーズエンタテインメントに社名変更)> | ||
1990年 (平成2年) |
69歳 | 7月 | 社団法人 劇場演出空間技術協会 会長に就任 |
1991年 (平成3年) |
70歳 | 6月 | IEEE(国際電気電子技術者協会)名誉会員 |
10月 | 財団法人 国際研修協力機構 会長に就任(1995年3月に退任) | ||
1992年 (平成4年) |
71歳 | 3月 | <米国ソニー・ピクチャーズエンタテインメントの日本における配給子会社などを統合し、(株)ソニー・ピクチャーズエンタテインメントを設立> |
5月 | 社団法人 経済団体連合会 評議員会副議長に就任(1994年5月に退任) | ||
6月 | 財団法人 経済広報センター 副会長に就任(1994年6月に退任) | ||
1993年 (平成5年) |
72歳 | 6月 | 株式会社 対日投資サポートサービス 会長に就任(1996年6月に退任) |
日米経済協議会 会長に就任(1994年6月に退任) | |||
11月 | <(株)ソニー・コンピューターエンタテインメントを設立> | ||
1994年 (平成6年) |
73歳 | 11月 | ソニー(株)、ファウンダー・名誉会長に就任 |
1996年 (平成8年) |
75歳 | 5月 | <ソニー(株)創立50周年> |
1998年 (平成10年) |
77歳 | 12月 | 米国「タイム」誌が選ぶ「20世紀の20人」に日本人として唯一選ばれる |
1999年 (平成11年) |
78歳 | 10月 | 10月3日 肺炎のため逝去 |
<>は、ソニーの年譜より