2000年10月、盛田昭夫氏の一周忌にあたり盛田昭夫夫人のご希望でカンタータ「天涯」が作曲されました。「天涯」とは盛田昭夫氏の戒名「盛昭院天涯敬道上座」から引用されたものです。世界よりも宇宙よりも広く果てしない空間からのメッセージが込められた壮大な声楽曲です。
ビジネスはその昔隣同志で始まりました。そしてだんだんに広がり、隣り街、隣りの国、そして地球の多くの国々へと広がりました。人が歩いて運んだものが、馬になり、船になり、車になり、飛行機になりました。
現代のビジネスは目に見えないものが空を飛び交っております。それは宇宙を越えてどこまで広がって行くのでしょうか。昭夫と一緒にハワイのマウナケア山頂で日が昇るのを見、大きな真っ赤な太陽が月によってだんだん欠けていき、ぞーっとするような寒さと薄暗い天空に皆既日食を、そして神秘なコロナを見た時の感動は忘れられません。
昭夫が世を去って今年の春、私が一人で登った同じ山頂で、美しい雲海の中に沈んで行く夕日を見た時、心の中でこれこそ天涯と叫びました。世界よりも宇宙よりも広く果てしない空間。昭夫は今、天涯で大きな仕事を考えているのではないか、私はそう考えました。昭夫の一生は子どもの頃から興味のあった物を壊して作る、どうして何故、なぜ。
そして自分が大学で物理を学んだことに誇りを持っておりました。彼は本当は偉大なビジネスマンと云われるよりも、偉大な物理学者と云われたかったのでした。彼は物理学者が考える男の夢を追って、1999年10月3日78才の人生を閉じました。
いいえ、閉じたのではありません。彼は限りない空間、天涯にあって、今まで考えられなかった大きなエネルギーの中で何かを考え、何かを造り出しているに違いありません。幸せな人生を生き、今また幸せに天涯で生きております。私達は何時か三枝成彰様に思う存分大きな、綺麗な私達の交響曲を作って頂きたいと思っておりました。今年の春、曲の出来る前でした。私は三枝様にハワイから電話をかけました。
「交響曲の題が決まりました。それは交響曲『天涯』です。」
島田雅彦様が詩を書かれました。コーラスがつくことになり、カンタータ『天涯』となりました。詩の題名は誰もが心に思っている「自由人の祈り」でございます。
この曲が不滅の名曲として世界を駆け巡り、宇宙をも天涯にまでも流れることを、私たちは心から祈っております。最後に本日カンタータ『天涯』の初演、昭夫を偲ぶコンサートを迎えるにあたって、私達の為に大勢の方々が力を貸して下さいました。三枝様、島田様は勿論、そのスタッフの方々、指揮の大友直人様、ジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラの方々、合唱指揮の関屋晋様と晋友会合唱団の方々、特別出演のソプラノの佐藤しのぶ様、ボーイソプラノのルードウィヒ・ミッテルハンマー少年、素晴らしいポスターとプログラムをデザインして下さった浅葉克己様、蔭で大きな力を貸して下さった写真家の篠山紀信様、操上和美様のご親切にも心から感謝を申し上げます。
2000年10月 盛田良子 記