1953年の夏、昭夫がはじめてのヨーロッパの旅から帰った時のことです。彼はこの旅の間にオランダの街角で見かけたストリートオルガンに大層興味をもち、これをなんとか我がものにしようと考えたようです。私はこの人、本気で考えているのかしら、気が狂ったのではないだろうかと疑ったものでした。ご存じの方もあるかと思いますが、このストリートオルガン、オランダの街角で朝早くまた夕暮れ時にどこからともなくあらわれて音楽を奏でる大きな荷車の上に取り付けられた手風琴のことなのです。
厚紙に穴のあいたものを組み込んで脇に取り付けられた車を手で回すと、空気とこの穴の位置によっていろいろな音が生まれます。
この手の回し方一つによってその音楽師の音楽的な心がメロディとなり、芸術が生まれるわけです。この本物のオルガンを我が家の4畳半の部屋に引っ張り込もうというわけです。そんなことになろうものなら車の下敷きになって寝なくてはなりません。
彼は10年の間、旅に出るたびに、そして、ヨーロッパの友人をつかまえてはなんとかこれを手に入れることを試みました。答えはすべて「ノー」でした。このオルガンは国外に持ち出せないのです。これはオランダの法律で決められているのだそうです。なぜならばこのストリートオルガンこそオランダの風車や春の終わりに咲きほこるチューリップと並んで昔のよいオランダを伝える文化財であり観光のための価値ある資産なのです。
そのためかどうか、このオルガンの調律は国家によってなされていると聞きました。国外に持ち出せないのは当然でしょう。彼の夢は破れました。ところが、10年目にある人が素晴らしいニュースを教えてくれました。たった一人のオランダ人がミニチュアのオルガンを作るということを。
それ以来このミニチュアのストリートオルガンは我が家の一員となったのです。そして今以って、我が家においでの世界中のお客さま、特にヨーロッパの方々に何時もよい話題を与え楽しんで頂いております。
2007年5月14日 盛田良子 記