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「盛田昭夫」を語る

キミもがんばれ

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懐かしい夜更けの盛田講座

「もはや戦後ではない」との標題で話題を呼んだ経済白書が発表された1950年代後半、戦後復興が軌道に乗り出した日本経済の担い手は、繊維産業などの戦前からの軽工業から台頭著しい電子産業へと移っていきましたが、その先頭を切ったのがソニー製品の輸出でしょう。なかでもソニーのトランジスタラジオの傑作、TR-610、TR-620はその花形として、欧米市場はもとより、世界各地に急速に販売を拡大し、世界中の消費者に今まで見たこともない新しい商品として、歓迎されました。

当時、盛田さんは最高経営責任者でありながら、販売の最前線に立って、外国人バイヤーとの交渉から注文書の作成まで、自ら陣頭指揮をとっておられました。

盛田さんがアメリカ長期滞在を決心されたのは、このような海外関係者との最前線における接触から、かねてその必要性を痛感されておられたからであり、また、当時完成をみたオールトランジスタ・テレビの発売が、その契機になったものかと思われます。一方、対米輸出でも、それまでの輸入代理店経由の販売に限界がみえ、自前の販売網を構築して、ソニーみずから小売店への販売に乗り出さねば商売は大きく伸ばし得ないとの結論が出された頃でした。

今でこそ、電機各社がアメリカで自社販売網を持つのはあたり前のことと思われますが、当時、海外経験のない製造業者が、強力な商社に頼らず、みずから現地に出かけて販売網をつくり、自らのセールスマンで販売させようということ自体が大変な冒険でした。正に、会社の発展についての長期展望と確固たる信念なくしてはできないことです。そして、この信念を支える背景には、敗戦国日本で起こった小企業でも、いつかは、世界的企業に育っていけるのではという夢があったと思います。

1963年の春、ニューヨーク五番街47丁目ロンジンビルの中2階に新しいオフィスができました。従業員一同といっても、現地人30人そこそこの小人数でしたが、それまでの514ブロードウェイの倉庫の片隅のようなオフィスに比べて、その快適さに大いに感激して張り切ったものです。道路の向かい側には日本企業としては最初のショールームが開かれ、日の丸の旗が翻って、ニューヨークの話題となりました。かつての敗戦国日本の企業が、小なりといえども、敵国の総本山、世界経済の中心地ニューヨークの一角に国旗を揚げたと、大いに胸を張ったものです。

新しい盛田さんの部屋には、日本から持ってこられた掛け軸がかかっていました。「日本が生んだ 世界のソニー」と達筆が踊っているのを見たとき、盛田さんの心意気に触れた思いがしました。もっとも、アメリカ人の従業員やら来客から、「ありゃ一体なんだね?」と何度もたずねられたのには、いささか閉口しました。”Boys be ambitious”さ、とか、「一寸の虫にも五分の魂」さ、とか、ちょっと脱線気味の説明をしたものですが、当時の小さな会社、競争相手というもおこがましいRCAやZenith等には比べようもないくらい小さな会社のわれわれに、今に見ておれ!という気を奮い起こさせるのが盛田さんのお話で、その話に浮かされたわれわれが、「日本の生んだ 世界のソニー」をこのように解釈したのも、むべなるかなというところでしょう。

売れないセールスに疲れて思案投げ首気味のわれわれに、「おーい、メシ食いに行こう」と声をかけてくださったのが、遅くまで働いておられた盛田さんでした。夜の9時過ぎになると、近所のレストランで開いているのは、たいてい中華レストラン。46丁目に行きつけの雷飯店というのがあって、食事をしながら市場の報告かたがた「ああしたらいい」「こうしたらいい」と談論風発、盛田さんはいつも、「ウン、ウン」と実によく話を聞かれましたが、同時に人を説得するのが上手で、それに時間と労力をかけるのを惜しまれません。「セールスは教育だ」と言っておられましたが、正にこれを実証されました。

しかし、その基礎には、自分の売っている商品は絶対ほかにないもの、世界一新しいもの、世の中の役に立つ最良のもの、との確固たる自信がありました。「人のマネはしない」 “Something New, Something Different” こそ盛田さんの哲学であり、商売の王道だと思います。かくして、夜更けまで続いた盛田さんの雷飯店講座が、生涯忘れがたいニューヨークの思い出となっています。

卯木 肇(2001年 記)

(当時:スカイ・パーフェクTV 代表取締役社長)

※『キミもがんばれ』は、2001年2月、ソニー北米関係有志によって、盛田氏の思い出をまとめた文集(非売品)です。

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