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「盛田昭夫」を語る

キミもがんばれ

6

One to One Marketingをじかに教わる

それは1971年の晩秋であったか、マンハッタンは高級ホテルが建ち並ぶ7番街は、いつも通りダークスーツに身を包んだビジネスマンと、一目でそれとわかる観光客で溢れていた。その日は、いよいよソニーの数ある世界初の中でも社運を賭けたと言っても過言ではない、ある製品の発表がホテル・アメリカーナで予定されていた。本社からは盛田さんをはじめトップ・マネージメントが乗り込み、盛田さんご自身も自らデモと説明される予定で、その意気込みがわれわれにも伝わってきた。

入社して2年目、外国部でようやく貿易の実務が少し分かりかけてきたころ、ソニーアメリカに赴任命令が出て、当時のサービス・エンジニアリングの部隊に配属になった私は、その後ソニーが開発をしたヘリカルスキャンのビデオのビジネスに携わるようになった。しかし、絵と音が記録されるビデオを、将来、家庭用の大型商品に育てるというトップ・マネージメント、とりわけ盛田さんの夢を知ったのは、しばらくたってからのことであった。

なにしろ、白黒でオープンリール、大きくて重たいビデオでも、これをコンシューマー向けタイムシフトとホーム・ムービーとして売り込むべく、わざわざCV(Consumer Video)と命名し、先頭に立った盛田さんであった。しかし、買っていただいたお客さまは、学校や企業。それでも、ご本人はなかなか巡り合えない初恋の人をさがすように、辛抱強く、家庭用ビデオの夢を追いつづけておられた。

U-Maticはそんななか、待望の商品であった。しかし、家庭用にしてはやはり高い、大きい、重い。そこで盛田さんは、企業内コミュニケーション用に売れるに違いないと考えられた。アメリカでは、絶えず社員が入れ替わる。社長のメッセージを、社員全員に確実に伝えなければならない。社員が多い会社、支店の多い会社に絶対に売れる。盛田さん持ち前の、鋭いマーケティングの第六感が働いた。

念願の家庭用ビデの立ち上げは楽しみに残して、未知の業務用ビデオ市場開拓の陣頭指揮をとられることになった。本丸のアメリカ市場上陸の前に、まずは日本で導入ということで、私は呼び戻され、本社8階の講堂で催されたU-Maticの発表会に立ち会うことになった。実体験実習である。会場にはU-Maticのシステムがずらりと並べられ、入口では盛田さんがお客さまを待ち受ける。ご招待した大企業のトップがお見えになると、盛田さんご自身がお客さまに付き添い、システムの説明を丹念にされる。日本IBMの社長がみえると、すかさず盛田さんは私をそばに立たせ、ご自身のセールストークを始められた。
「社員は社長のお話を聴くだけではなく、実際に見たいのです。社長の表情から意を汲み取ります。だから、ビデオでメッセージを全社員に送ってあげてください。……」

なるほど、こうしてU-Maticを売り込むのだと妙に納得してアメリカに戻った私は、さっそく、上司の郡山さんに日本での体験を報告した。
「これは商品の導入ではない。まさにコンセプトの導入である。来られるお客さまは、企業のトップ・マネージメント。本当に理解していただくのは容易ではない。あの盛田さんですら、一人一人の説明に苦労されていた。……」と見たまま、聞いたままの報告。「なるほど、なるほど」と郡山さん。
「したがって、アメリカでは、まず、なにも分からないお客さまに、まとめて基礎的なプレゼンテーションをする。それから、一人一人にじっくり説明をすれば、よく分かっていただけるし、効率的でもあるし……」これで、日本までわざわざ出張して勉強した甲斐もあったと、ひとり喜んだものだ。

アメリカーナでの発表会は、準備万端ととのい、間際までトラブルを起こしていたデモ用の機器もなんとか正常に戻り(私の提案で会場に設けられた)プレゼンテーション・コーナーにもイスがずらりと並べられ、あとは、お客さまの入場を待つばかりであった。
開場5分前。全員最後のチェックを終えホッと一息。
そこに盛田さんが現れた。グルッと会場を見渡され、目は、プレゼンテーション・コーナーへ。
「これはなに?」と盛田さん、いつになく険しい表情だ。「お客さまに、まずはコンセプトをしっかり説明する必要がありますので。……」一瞬、イヤな予感が走ったのもつかの間、次の瞬間「すぐに全部片付けなさい。」

そのとき、盛田さんから、なぜイスもプレゼンの台も要らないのか聞いた記憶はない。しかし、自分の過ちに気づくのにそれほど時間はかからなかったように思う。なぜなら、盛田さんは日本でやられたように、入口に立ち、ときに私たちを呼び寄せ、来場されたお客さま一人一人をエスコートしながら、会場に並べられた機器を一つ一つ説明され、そこには“まとめてプレゼン”だの“こちらの説明を聞かせる”などといった、押しつけがましさは全くない。お客さまの抱えている問題に耳を傾けながら、ご自分の言いたいことを言う。お客はいつのまにか、すっかり盛田さんのペースだ。思えば、来場されたお客は、みな大企業のトップ・マネージメント、それに各企業の事情はさまざま。よほどの説得力で各個撃破しなければ、売れるはずがない。全員に通り一遍の説明などしては、かえってマイナス、が盛田さんのセンスであった。

U-Maticは、その後、IBMやFordなどで、まさに企業内コミュニケーション用として採用され、ソニーにとって、その後の一大放送局用ビデオビジネスにもつながる基礎を築いた。家庭用ビデオの夢を追いながら、業務用ビデオという新しいジャンルを築いた盛田さん。ご自分の信ずることを、ご自分の言葉で語られた盛田さん。一人一人みんな違うお客さまに、それぞれに合ったソリューションを提供された盛田さん。まさに、いまでいうOne to One Marketingを当時から実践されていた盛田さん。

このソニーに流れるDNAの原点である盛田さんに、じかに触れるチャンスに恵まれた自分は、相変わらず、あのときの“イス取り事件”から未だに学習効果を学びえないまま、今日に至っている。

鶴見 道昭(2001年 記)

(当時:ソニー株式会社 執行役員常務)

※『キミもがんばれ』は、2001年2月、ソニー北米関係有志によって、盛田氏の思い出をまとめた文集(非売品)です。

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