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「盛田昭夫」を語る

キミもがんばれ

7

夜明けのアイスクリーム・パーラー

ソニーは、1977年、米国南部アラバマ州のドーサン市に、磁気製品工場を設立した。サンディエゴのカラーテレビ工場に次ぐ米国での二番目の生産拠点である。アメリカで売れるものはアメリカでつくるという、いわゆる現地化の動きが加速したのが70年代であった。工場を持つことによって、現地従業員の数が飛躍的に増加し、ソニー・アメリカのオペレーションも新しい局面に入りつつあった。

1985年、ソニー・アメリカは創立25周年を祝って、米国各地で記念行事を催すことになった。盛田会長ご夫妻をお招きして、ニューヨークを皮切りにシカゴ、ドーサン、サンディエゴ、そしてロスアンゼルスと、各地でそれぞれ趣向をこらしての行事が盛大に行われた。盛田会長ご夫妻は、強行日程ながら、全地域を訪問されて親しく従業員とお会いになり、一連の記念行事は成功裡に終えることができた。なかでも、ドーサンの出来事は特に印象深いのでここにそれをご紹介したい。

ドーサン工場のオペレーションもすでに8年目となり、フル操業に入っていた。一日三交代制で早朝からの第一シフト、午後からの第二シフト、そして夜9時からの深夜シフトとなっていた。ドーサン工場の記念行事のメーン・イベントは、盛田さんのスピーチとハワイアンスタイル・ホスピタリティー<ルアウ(luau、豚の丸焼き)とハワイアン・ミュージック>が準備され、クリント・マイケルス工場長の要請に応えて、第一シフトと第二シフトまではおつき合いしようということになった。

第一シフトが仕事を終えてのパーティーは、ちょうどお昼どきで、明るい空とハワイアン音楽がマッチして実に気持ちよく、盛田さんのスピーチも例のごとく好調な滑り出しを見せた。第二シフトのパーティーは夜の9時頃ということで、タキシードとイブニング・ドレスの正装での参加となった。従業員も大いに喜び、記念撮影やらサインをねだるものも出て、大騒ぎであったが、無事盛会にて終了した。

さて、ホテルに帰って寝ようと思ったら、盛田さんがここまできたら第三シフトも出ようよと、おっしゃった。マイケルス工場長が、あわてて「第三シフトのパーティーは朝の4時ごろで、もともと深夜シフトの従業員には盛田さんのスピーチは予告していないので、結構です」と気を遣って言った。「それなら尚更のこと参加して、みんなを驚かせようではないか」「深夜シフトも従業員には変わりない。むしろこの厳しい勤務帯の人たちにこそ会ってお礼を言いたいのだ」と盛田さん。このお言葉にマイケルス工場長も感激の面持ち。衆議は一決。全員参加となった。

ホテルでの数時間の仮眠ののち、ふたたび正装でのルアウ・パーティーとなった。真っ暗闇にテントを張った会場にライトが灯り、そこに入ってきた従業員がわれわれを発見したときの驚きようは大変なものだった。驚きが大歓声に変わり、その盛り上がりは、前の二つのシフトをはるかに超えるものだったことは言うまでもない。それにつけても、盛田さんの従業員を思いやる心に頭が下がるとともに、なにかとても大事なことを改めて教わった気がしたのは私だけではあるまい。しかし、ハワイアン・ルアウを一日に三度も食べさせられたことには閉口した次第。

さて、これでやれやれホテルに帰れると思ったら、今度は、アイスクリームを食べたいとおっしゃった。盛田さんのアイスクリーム好きは有名な話。24時間オープンのアイスクリーム・パーラーがドーサンにもあった。黒塗りのキャデラックから、正装の一行が夜明け前のアイスクリーム・パーラーに突然現れたのを見た店の主人は、その異様さに驚いたに違いない。しばらくたって、店の横にパトロール・カーが止まり、警官が店に静かに入って来た。そして、遠くのカウンターの端に腰をかけて、こちらの様子をうかがっているではないか。われわれの談笑ぶりをしばし見ていた警官は、人畜無害と判断したのだろうか、店の主人に会釈をして出て行った。この一部始終は、マイケルス工場長と私は知っていたが、盛田さんは気づいておられたかどうか、あのとき、このことをお話しした記憶が定かでない。

いまとなっては、それを確かめるすべがない。

田宮 謙次(2001年 記)

(元ソニー・アメリカ 会長)

※『キミもがんばれ』は、2001年2月、ソニー北米関係有志によって、盛田氏の思い出をまとめた文集(非売品)です。

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