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また盛田さんに助けられた
平松 庚三氏より
突然降って湧いたライブドアの社長職を引き受けて、ボクは「火中の栗を拾った男」などと言われ、世間から同情されたがとんでもない誤解だ。 ボクから言わせれば、「素晴らしいアサイメントに出会った」が正直な感想である。
2006年1月の「ライブドア事件」というあの未曾有の混乱の中で、ボクは社員と共に困難に挑戦し、彼らに支えられ、助けられ、そして成長した。それまでは、コーポレートガバナンスもコンプライアンスも経営の知識としては認識していたものの、身に付いていたかどうかは自分でもはなはだ疑問だった。上場会社の経営もしたことがなかったので証券取引法にも疎かった。 外資系IT企業の雇われ社長を生業としてきたボクにとって、それまでの経営のゴールとはIBIT(営業利益)を上げる以外の何物でもなかった。
経営(マネージメント)とは、人、物、金など所謂経営資源をマネージすることであるが、言うまでもなくもっとも重要な経営資源は人、つまり人材である。
会社は社長が動かすのではなく社員が動かすもの、社長の仕事とは優秀な社員を確保し、指針を示し、彼らが働きやすい環境を作ることがボクの経営理念である。
「社員の価値が企業の価値」が持論であるボクには、部下を雇うときに絶対に外さない3つの条件がある。
20も、30も年下のライブドアの部下たちは皆この条件を満たしていた。 地頭、体力、コミットメントの3点セットが揃った若者が多かった。 当時のボクの仕事は彼らをモチベートし、勇気を与え、社内の全資源を集約して会社の再生を図るにかかっていた。 しかし、事件直後の売上は前年に比べ90%落ち込んだ。 自宅や会社は朝晩TVや新聞記者に囲まれていた。 社内には重苦しい空気が充満していた。 ボク自身も毎週引っ張り出される「お詫びの」記者会見で精神的にも肉体的にも疲労困憊していた。
この状況を救ってくれたのが盛田さんの「ネアカ主義」だ。 盛田さんから「経営者は常にネアカでなくてはいかん」という話を何度も聞いた。「ネアカになれん時はネアカの振りをする」も思いだした。 その時からボクは下を向いている社員に大きな声で話かけ、極力笑顔で接するようにした。意識して背筋を伸ばして社内を歩いた。ゆったりと構えた後姿を見せて社員を安心させ落ち着かせたかった。
盛田さんは言った。「ネアカになれない時はネアカの振りをしろ、そうすれば社員ばかりでなく自分も騙されてネアカになって行くんだ」。 「ネクラな組織からは何も生まれん」。
元気な人には「気」とか「オーラ」があるように、組織についても同じことがいえる。 元気な会社の社内にはポジティブな「気」が充満している。 社長が元気な「気」を社内に発散することでそれは全社に伝わり、やがてポジティブな上昇スパイラルとして組織の大きな力になって行く。 前向きで積極的なビジネスのアイデアが生まれる。これが盛田さんのネアカ理論である。
四面楚歌の状況の中でライブドア社員たちは耐え、互いに励ましあい、昨年末(07年末)にはついに単月黒字化に成功した。 彼らはこの2年間、辛い時でも笑顔を絶やさなかった。 盛田→ソニー→平松と引き継がれたネアカ経営のDNAは時を経てライブドアに移植された。 新生ライブドアの社員の中に盛田さんのDNAを受け継いだ若手がいる。 それが嬉しくてたまらない。
ソニーを勝手に飛び出して以来20年、ボクはまた昔の上司盛田昭夫氏に救われた。
2008年7月 平松庚三
小僧com株式会社代表取締役会長
(元ソニー株式会社HI事業部課長)
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