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「盛田昭夫」を語る

想い出

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米国を叱った日本人 –「青春の詩」と盛田昭夫氏
粟倉健二氏より (追悼文 No. 2)

盛田昭夫氏は1992年2月19日、アラバマ州々都であるモントゴメリー市で開催されたアラバマ日米協会(JASA)第3回年次ミーティングに出席してスピーチされた。「盛田氏はそれまでソニー(株)と歩いた46年間に、日米貿易関係のベテラン政治家に伍する役回りをカバーするとともに、グローバリゼーションの固い信奉者となり、国際親善向上に尽くしたのです。彼はその会合で、日米が直面している経済戦争について『2国が今後とも共に栄えてゆく為に国際社会の一員としてまとまり、これらの問題を解決しなくてはならないのです』と語りかけたのでした。

日米双方が『お互いの非効率なビジネス慣習から抜け出さねばならない』。アメリカ側については『付加価値ある生産事業の大切さを低く評価しがちで、性急な利益追求に片寄る傾向がある』と指摘。『長続きする財産を築くことよりも、紙の財産をもてあそぶことに興味を覚えている。そして四半期ごとの短期勝負に地道をあげ、健全な産業基盤維持向上の要である長期ビジョンを後回しにしているのではないか。』と懸念を示しました。さらに氏は『MBAや弁護士、それに資金の魔法使い達を、技術者や製品計画担当者よりも高く評価する社会は間違っている。』と語ったのです。(JASA報第3版第2号粟倉訳)

盛田氏のこの発言は、地元政財界の重鎮を含むJASA年次総会出席メンバー達から敬意をもって受け止められた。そしてその場で、氏は第1回サミュエル・ウルマン賞(日米国際親善貢献者を称える賞)の受賞者となった。71歳の盛田氏は輝く青春を謳歌しておられるようでした。

現在ソニー本社社長の中鉢氏はこのころアラバマ・ソニー(株)副社長で、同協会の理事に名を連ねておられた。このような中で体勢を強化しつつあったJASAが、筆者のアイデアを入れ、自分で担当することを条件に「サミュエル・ウルマン記念館設立」を正規プロジェクトとして採用する訳です。

この後1993年春に盛田氏は「サミュエル・ウルマン記念館設立募金プロジェクト」を、「日本側発起人」の一人として推進、支援されることとなります。
西の関経連宇野収会長、松下正治副会長と手を組んで、東の経団連盛田副会長、「青春の会」宮澤次郎会長等が共にこのプロジェクトに取り組み、当時盛田氏が会長をしておられた経団連CBCCも力を発揮した。発起人グループの全日本へのリーダーシップは強力で、1年プロジェクトであった募金活動は、バブル不況吹き荒れる最中に、わずか2ヶ月ほどで目標(2800万円=同額を米国側で募金)を達成した(マーガレットアームブレスター・キャロルアルゴー・粟倉健二共著「青春の記念館」= 未出版)のは小生の初稿追悼文に述べたとおりです。
<ご参照先:【和文】想い出(Vol. 7),【英文】Memories (Vol. 3)

注目すべきは、この時盛田氏は米国(なかんずくその産業界、金融界)が根本に抱える問題点をズバリと指摘されていた。氏は当時からこのような問題について米国民を面と向かってしかり、あらゆる機会に警鐘を鳴らしておられた。そして指摘を受けた米国民の多くが、それを妥当な叱責だと感じていた事実ではないでしょうか。氏の指し示した方向性が、今回サブプライム問題に端を発した、米国の破綻を救い、世界全体を巻き込む経済危機を予防する方法であることを、彼ら米国人は当時、うすうす感づいていた節がある。世界のリーダーを自認する人たちが、盛田氏の言葉を傾聴した事実は厳粛なものでした。

当時米国では、(また日本は勿論、世界の「有識者」や「有力者」の中でも)、盛田氏のように真っ向から問題の核心をついた発言を現地現場にぶつける動きは多くなかったし、氏が指摘する方向で事態を改革する努力も足りなかった。結果は我々が今見るとおりです。
日本人の中に盛田氏という先人を持ったことを筆者が誇りに思うゆえんですが、少子高齢化の下、日本もますます多国籍化、グローバル化する昨今にも鑑み、我々は氏に学んで、世界に通じる広い視野を持つ努力をすると共に、正しいと信じることは、誰に対してでも臆することなく発言する気概を持つべきだと自戒。

サミュエル・ウルマン作「青春」の詩は、正にこのような言動を勇気付けるものだと信じます。あの時「共に『青春』の詩を愛する」理由で一つにまとまって、遠くアラバマの地に「サミュエル・ウルマン記念館」を作る活動を支援された盛田氏ら産業人先達の心を偲びつつ、あらゆる層の人々に、人生の応援歌「青春」の詩をお薦めしたいと念じている毎日です。

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写真:花ごころ(株)経営理念手帳より

2008年11月 粟倉健二

1993年米国アラバマ日米協会副会長
元JVC America Inc. 代表取締役副社長・社長代行

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