14
盛田昭夫:スイスから日本へ (No.1)
著者:グレゴリー・グランツマン氏
本年は、スイス・日本国交樹立150周年にあたります。これを記念して、スイス・日本商工会議所(SJCC)とJETROが協力し、記念年鑑が作成されました。この中に、「盛田昭夫:スイスから世界へ」の章が設けられていますので、ご紹介いたします。
--------------------------------------------
東京通信工業株式会社(TKK)設立10数年後、戦後間もなくして出来たまだ新しい成長企業は世界をマーケットとすべく動き始めた。国際市場で認識されやすくするため、共同創業者の盛田昭夫は社名をSONYとすることを提案し1958年に改名された。当時、世界では日本製は「安かろう悪かろう」とされ、信頼性のある機器とはほど遠いイメージしか持たれていなかった。信頼性の高い機器、それは盛田にとってソニーと日本の目標とするイメージであった。
国際的マーケット拡大において鍵となったのが、適切な国際的な営業マンを雇うことだった。当時新卒の学生にとってソニーはまだ新しい企業であり、安全と安定の保証はなく、新入生を探すのは簡単ではなかった。新たな挑戦への準備が出来ている人材が必要だった。そんな中、「メイド・イン・ジャパン」のイメージを変えるミッションのために働くことへの挑戦に魅力を感じる者達もいた。
会社設立趣意書に記されたビジョン「…ダイナミックな技術と製造活動を通して日本の再建」に29歳だった小松万豊は触発された。ソニーはそのビジョンを会社独自の製品の開発、製造、販売を通して達成しようとしていた。このことが優良品輸出増加という小松の思う日本の理想にマッチした。小松は外国部へ採用された。50年たった後もTKKオフィスの軋む木製階段を思い出すという。
しかし小松はそのオフィスに長くいなかった。それは間もなく新入社員達が市場調査と現地事務所設立のためアメリカとヨーロッパへ送られたからだ。小松の向かった先はヨーロッパだった。
ソニー・オーバーシーズ・SAの設立
1959年、5か月間の初渡欧での任務はソニーのヨーロッパ支店となる適切な拠点を探すことであった。小松はチューリッヒをベースにして25か国に亘るヨーロッパの国々を、時には一日5か国訪問しながら市場の情報収入に努めた。結果彼は、「欧州は殆どの国が輸入制限をしている状態で、長期の販売計画が必要であること」に気づく。その後決まったのは、代表のオフィスをスイス・チューリッヒに構えることだった。
ドイツ以外でスイスが唯一、自由な貿易へオープンであったことが理由だった。同時に小松はソニーの製品が既にイタリアやスペインの闇市場へスイスを通って流れ、売買されていることを知った。この事実は製品の将来のルートを計画するために貴重な情報であった。ヨーロッパの中心に位置するスイスはヨーロッパ中の商業機会をさらに探るによく適していた。またそれは視点の主要課題になった。
東京本社から必要な承認を得て、1960年3月小松はスイスへ向けて2度目の出発をした。この時はソニー初のヨーロッパ代表事務所を、代理店Siber Hegner近くのチューリッヒ中心地パラデプラッツにほど近い空き喫茶店に設けた。
小松はそのオフィス初の支配人となり、日本人の二人、鈴木令二、郡山史郎とスイス人の秘書と共にヨーロッパ各国の輸入ライセンスを取得するため、また営業支店としての基板を築くために働いた。その晩夏、会社設立書類をまとめ署名するためにチューリッヒの小松のもとに盛田昭夫が訪れる、二人はBaker Mckenzie ZurichのDr. Eric Ledererより設立とその他法的な事柄についてアドバイスを受ける。
小松は法律についてとても詳しかったため、一世紀の歴史を持った煉瓦の建物にある法律事務所でのミーティングに盛田と共に参加した。小松は彼自身元法学生でありながら古い本が並んだ立派なアンティークの棚を見ながらぼんやりと魅了されてしまったと当時について語っている。そのせいで大事な会話の一部を聞き逃してしまい、後で盛田に提出する報告書を書くのに苦労したという。
その年12月末、Sony Overseas S.A. (SOSA)の設立書類に署名がされた。法人のロケーションのツークを選んだ。それについて盛田は彼の本の中でこう語っている:「ツークを選んだのは同市の税金事情が有利だという友人の忠告に従ってのことだ。」
1960年12月22日、ソニーはツークで正式に登録された初の企業となった。当時ツーク市は2万人ほどの住民がいて500を超える外国企業が登録されていた。SOSAはソニー・ヨーロッパ展開の取り組みにおいて重要な拠点となった。支配人の小松は妻と2歳の息子を連れてツークのアパートに移り、ほかの社員は社宅で暮らした。(No. 2に続く)
「スイス・日本国交樹立150周年記念年鑑」より抜粋
盛田昭夫に関するエピソードやメッセージがあればお知らせください
(匿名・ペンネームご希望の方はその旨も明記してください)
投稿する