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「盛田昭夫」を語る

想い出

17

盛田昭夫:スイスから日本へ (No.4)
著者:グレゴリー・グランツマン氏

「残った強いきずな」 

SOSA体制の変化は80年代で終わらず、それからも日本人がやってきて駐在員としてスイスを体験した。徐々に銀行業務およびヨーロッパ本部としての機能がスイスからイギリスへ移って行った。今度は当時盛んだった東ヨーロッパへの拡大がスイスから行われるようになった。この動きによってSOSAは再び市場開発会社へと変化を遂げ、シリエレンのオフィスから新市場への取り組みが行われた。

冷戦後ヨーロッパ市場に出入りがしやすくなり、ソニーの若いやる気に満ちたチームは地域中を飛び回った。今SOSAはSony Europeの支店と共存しているが、現在でもなお市場のニーズや変化に合わせて活動している。会社はスイス人社員によって経営されるようになり、1999年にスイス人Peter Gwerderが支配人に就き、会社の現地化が完了した。

多くの駐在員にとってツーク、バー、そして後にシリエレンと移ったスイス・オフィスは別世界のものだった。河相は9年のアメリカ滞在を経て直接ニューヨークからツークに移った。彼は開いた窓から聞こえるのどかなカウベルの音、そして春になると匂って来る肥やしの匂いがする小さな街にいることに驚きを隠せなかった。一部の人にとってそれはパラダイスのようで、またある一部にとってはスキー旅行やフォンデュの夜で気を紛らわせる長いスイス滞在となった。地元のスタッフにとって世界的に有名な企業に働き、日本人に直属するのはコミュニケーションの上でチャレンジはあったが両者にとって英語の会話術の上達と出張や長期滞在などの密接な交流を通してお互いの国について学ぶ機会になった。長年にわたって多くの消えない友情や関係が生まれ維持されてきた。

SOSAは今日も金融や市場開発のオペレーションの一部を引き続いている。盛田が1999年に他界し、翌年、彼の不在の中SOSA創立40周年記念パーティーが行われた。出席者には元・現SOSA社員、SOSA初代支配人小松万豊、当時在任の代表取締役出井伸之、並びに自身元SOSA社員でソニー・フランス設立者、そして当時在任のグループ会長大賀典雄がいた。ソニーブランドをヨーロッパで築いた組織の重要な貢献が祝われた。しかしそれはまた、スイス、ヨーロッパ、世界各地で「メイド・イン・ジャパン」を良質のマークにしようと戦った者達の集まりでもあった。

 「スイス・日本国交樹立150周年記念年鑑」より抜粋 

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