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故 旧哀傷・盛田昭夫 (第二話)
著者:中村稔
ソニー関連の仕事の中で、私にとって忘れがたい、筆頭に挙げたいと考えるのは、何といってもソニー・チョコレート事件であった。ごく小規模の製菓会社がそのチョコレートに「ソニー」「SONY」という商標を付して売りだした。現在の不正競争防止法では、このように周知著名な商標・商号等商品表示・営業表示を異業種の商品・営業に使用することは違法とされているが、当時の不正競争防止法にはこうした規定はなかった。
異業種の商品・営業に周知著名な商標・商号を使用することによって、「混同」を生じるかが法律解釈上第一の難関であり、これによって、ソニーは「営業上の利益を害されるか」が第二の難関であった。この当時でもソニーが周知著名であることは疑問がなかった。こうした問題について先進諸国においては違法とした判例もあったし、国際的にも専門家の間では違法とするよう条約で定めるべきだとする意見が強かった。しかし、私たちは日本の不正競争防止法の下で、これらの難関を突破しなければならなかった。この事件は私の事務所とソニーの創立以来の顧問弁護士である田辺恒之先生の事務所の田辺恒貞弁護士とが協力した。
ソニー・チョコレートの排除にもっとも熱心だったのは盛田さんであった。ソニーはいまはトランジスタ・ラジオ、磁気テープ等を製造販売しているけれども、将来どんな分野に進出していくか分からない。それこそ銀行だって設立するかもしれない。だからこそ、ソニー株式会社と改称するときもソニー電機株式会社などという名称を採用しなかったのだ、とお聞きした。余談だが、ソニー銀行を持つことは盛田さんの当時からの夢だったらしいが、私たちは冗談としか思っていなかった。
こうして盛田さんの情熱にほだされて、私たちも私たちなりに全力を尽くした。私の一高時代の友人、藤永保は東大では社会学を専攻し、そのころ東京女子大の教授をしていたが、社会学的に精緻な統計的調査を行い、ソニーとチョコレートとはイメージがきわめて近いので混同を生じやすいというデータを作成してくれた。 盛田さん自身が「暮らしの手帖」の編集者、花森安治と、2016年になって亡くなられたので話題になった秋山ちえ子という当時評判高かった著名人にお願いしてくださって、お二人に証人として出頭していただき、ソニーがこんなチョコレートまで手がけることになったのか、と疑問をもった、といった趣旨の証言をしていただいた。盛田さんご自身も証人として出頭し、アメリカでソニーのブランドを確立した話をはじめ、いかに商標を大事に考えているか、詳細に証言なさった。
この訴訟の終わりころ、特許庁にソニーが請求していた、相手方のチョコレート会社が登録していた「ソニー」という商標登録を無効とする審決が出された。担当したのは蕚(はなぶさ)優美弁理士であった。
担当の三宅正雄裁判長から、和解の勧告があった。看板の書きかえ代程度の僅かな金額をソニーが支払い、先方は「ソニー」「SONY」の商標の使用を止める、という案が裁判長から示された。私たちは実質勝訴といってよい和解案なので受諾することとし、和解により訴訟は終結した。
私たちの訴訟と併行して、当時存在していたカメラのメーカー、ヤシカが「ヤシカ」商標を化粧品に使用している会社に対し訴訟を提起し、同時に先方が登録していた「ヤシカ」化粧品の登録の無効審判を請求していた。明らかにソニーがソニー・チョコレートに訴訟を提起したのに刺戟された訴訟であり、審判であった。私たちが和解で解決した後、ヤシカ無効審判の審決がなされ、「ソニー」の登録無効裁判の審決とは逆に、化粧品会社の「ヤシカ」登録は有効と判断された。そのため、ヤシカに対しては和解が勧告されることなく、判決された。判決はヤシカ勝訴であった。被告は化粧品について著名商標「ヤシカ」を使用することを止めるよう命じられたのであった。ヤシカ化粧品会社が「ヤシカ」の登録商標をもっていても、不正競争に該当する以上、使用は許されないと判断された。こうして、ヤシカ化粧品事件判決が著名商標の異業種商品・営業に対する使用を違法とする最初の判決となった。
本来であれば、私たちこそこの種の事件に最初に勝訴すべき立場であったが、和解したために最初の裁判例を作る名誉を失ったのであった。高橋光男弁理士はソニーの社内弁理士としてこの事件に関与していたが、この事件の功労者は蕚弁理士であるという。蕚弁理士がどのように特許庁審判官を説得したか、私は知らない。私にとっては功労者が誰であってもよい。盛田さんの先見性を指摘すれば足りる。
先に二つの難関があったと述べた。現在、第一の点については、周知著名な商標が異業種の商品等に使用されると、著名性が希釈化(dilution)すると考える。これは欧米から輸入された理論であり、当時、訴訟で私たちが主張した理論であり、唯一であれば周知著名な商標のもつインパクトは強いが、多数が同じ商標を使えば、インパクトがうすまるというわけである。私たちの主張がいまでは通説になったのだといってよい。
第二の点については、混同といっても、甲の商品を乙の商品ととりちがえる、という狭義の混同だけでなく、消費者等が二社の商品は何らかの関係があると考えるなら、広義の混同が存在すると考えている。
このソニー・チョコレート事件は、その後の「ソニー」商標の保護に重要な意味をもった。その当時は、ソニー美容院、ソニー焼肉店といったソニーの名を冠した中小企業が多数存在した。彼らは一様に、私たちはソニーの宣伝をしているのだ、と称し、また、こんな小規模の事業を大ソニーがやっているなどということは誰も思わないから、ソニーに迷惑をかけることはない、と弁解した。
私の事務所は毎年数件ずつそうした「ソニー」の名称、商標の使用の禁止の仮処分命令を申請し、止めさせるのに忙殺された。はじめのころは厖大な証拠を提出する必要があったが、やがて申請をすれば即日仮処分命令が得られるほどに裁判所の理解もふかまった。10年近く経つと、そうした「ソニー」の名称を無断で使う者はいなくなった。
現在、ソニー・ミュージック、ソニー銀行、ソニー損保、ソニー・ピクチャーズ等、ソニーの関連会社以外にソニーを称している企業はない。これこそ、まさに盛田さんが予見していた状況であった。
(第三話につづく)
青土社 ユリイカ 6月号(私が出会った人々 *6)より
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