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変革への勇気 「『日本型経営』が危ない」(1992年)
~グローバル・ローカライゼーション~
90年代初め、日本企業は自動車、エレクトロニクス産業を中心に強い国際競争力を有し、欧米からは「失業まで輸出する」と揶揄されるほど、日本的な経営のあり方が問題視された。利益よりもシェアを重視する従来の日本の経営慣習が、欧米とは異質なものになっていたからである。こうした状況下、盛田が発表した論文「『日本型経営』が危ない」は、それまで考慮してこなかった日本型経営見直し論を起こすきっかけになった。そこで展開された、日本と欧米の企業が共存共栄していくための方法とは、いかなるものであろうか。
私は昨年11月に、経団連訪欧ミッションの一員として平岩(外四)会長のお供をし、ドイツ、ベルギー、オランダ、イギリスの4ヵ国で政府ならびに産業界の要人と意見交換をしてきました。
オランダのハーグにおいては、ヨーロッパの大企業の集まりである欧州ラウンドテーブルの主要メンバーとディスカッションを行ったわけですが、そのなかにはボルボ会長のギレンハンマー、フィリップス会長のデッカー、フィアット社長のアリエリ、そしてアグファ会長のレイゼンなど有力なビジネスマンがおり、大変に有意義な意見交換を長時間にわたって行うことができました。
また、ヨーロッパからの帰り道に平岩会長と一緒にアメリカにも立ち寄って、アメリカン・エクスプレスのロビンソン会長や、モトローラのフィッシャー会長、コダックのウイットモア会長などのトップビジネスマンとディスカッションをいたしました。
そのような話し合いを通じて、私はさまざまな新しい刺激を受け、日本企業のあり方についていままでと多少違った考え方のヒントを得たような気がします。
とくに私にとって印象深かったのは、欧州生産の自動車をめぐる論議でした。欧州の自動車業界首脳は「輸入車もEC域内で生産された日本車も欧州の産業に与える影響は同じだ」として、日本企業の現地生産についてもなんらかの制限を加えるように主張しました。
私は最初にこれを耳にしたとき、これほど勝手な主張はないと思いました。私のところも欧州の10ヵ所に工場を持っており、ヨーロッパで売っているテレビなどはほとんどヨーロッパ製で、英国ブリジェンド製のテレビは輸出貢献企業賞である「クイーンズ・アワード」を3回もいただきました。
ですから私たちは、ヨーロッパに直接投資をしてヨーロッパの企業になれば、それで受け入れられると信じていました。どうすればヨーロッパの企業になれるのかを一生懸命考え、生産にかぎらずあらゆるオペレーションを現地化し、権限も本社から大幅に委譲してきました。また現地の各子会社もそれぞれのコミュニティーでよき企業市民となるべく努力を続けています。
私はこうした取り組みを「グローバル・ローカライゼーション」という全社的なスローガンにし、まさにソニーの全世界的プロジェクトとして機構改革、意識改革を進めてきました。現地人がマネージし、現地人がつくって、部品もできるかぎり現地調達して、品質も価格も優れたものをつくれば、立派に現地企業といえるはずで、それでもダメだというのはきわめてアンリーズナブルな議論であって、むしろ先方が反省し一層の努力をすべきなのだ、と考えていました。
(Vol. 3に続く)
WAC「21世紀へ」より抜粋