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変革への勇気「『日本型経営』が危ない」(1992年)
~エンジニアが尊敬される社会に~
先ごろ、サッチャーさんが日本に来られたとき、朝食をご一緒する機会がありました。彼女は噂に違わずシャープな方で、話もなかなか面白く、日本で台風を経験できると楽しみにしていたのに、たまたま台風が東京をそれてしまって残念だといったような話をされていました。 「日本の台風よりあなたのほうがよっぽど台風だ」と私は喉まで出かかったのですが、それをグッと我慢して、一緒に食事をしました。
そのときに彼女のほうから、「ミスター・モリタ、何か私の国にアドバイスはないか」ということでしたので、「私のアドバイスは、あなたの国をエンジニアが尊敬されるような社会にしていただきたいということです」と申し上げました。
そもそも物理学の基礎はイギリスにあり、私はイギリスのサイエンティストを尊敬しております。現にイギリスではサイエンティストは非常に尊敬されています。しかしその一方で、エンジニアはあまり尊敬されておりません。エンジニアはサイエンティストより一段低いと思われているわけです。そういうことが気になっていたので、私は「エンジニアが大事にされない国に本当の工業は発達しません」という話をしました。
アメリカも昔はヘンリー・フォードやトーマス・エジソンなど多くのエンジニアがおり、尊敬されていたわけですが、いまではビジネススクールを出た人やロイヤーばかりがもてはやされ、エンジニアはきわめて影が薄いのです。アメリカのなかでも、ウェスティングハウス、モトローラ、ヒューレット・パッカードなどのようにエンジニアが創立し、エンジニアがいまだにトップマネジメントにいる会社は、いまも立派な業績をあげております。
そうみてきますと、本当に製造と技術に通じた人間がトップマネジメントにいれば、製造業はうまくいくということがいえると思います。ですから私はアメリカに行った際も、サッチャーさんに会ったときも、イギリスでも、フランスでもそのことを力説しております。
現にエンジニアが尊敬されているドイツはあれだけの工業力を持っているわけです。「日本の産業界を見てください。中心はエンジニアです」と私はいっているわけです。そしてエンジニアが長い間努力をして、非常によいものを生産してきたことが日本の生産を支えてきたのだ、と私は思うのです。
ですから本当に一生懸命働いて、よいものを大量生産し、安い値段で供給することのどこが悪いのか、しかも日本のメーカーはできるだけ現地で現地の部品を使って生産すべく努力している、どこに問題があるのだ、という思いでした。
ところがヨーロッパはそれでは納得しないのです。私は部品の調達率が問題なのかと思っていました。いろいろ話しているうちに、どうもそうではないようなのです。
では何が問題なのか、私は長い間論議をたたかわせているうちに、次のような意見が気になってきました。「あなたたちとわれわれと競争のルールが違うのだ」というのです。これは私にとってはショックでした。
(Vol. 4に続く)
WAC「21世紀へ」より抜粋