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『「No」と言える日本』について(1989年)
〜「小出し」では叩かれるばかり〜
この十数年、繊維交渉に始まって貿易のインバランスが問題になるたびに、アメリカ側が日本に要求してきたのは、「ドラマティック・アンド・ドラスティック」。思い切った、しかも劇的な処置をとってくれと。
それに対して日本がやってきたことは、考えようによっては非常に劇的なんです。何年かにわたって、少しずつ門戸を開いていて、結果を見ると劇的な変わりようではあるんです。しかし小出しにしているものだから、あまり劇的には見えない。ちょっとずつ幕を引いていくよりも、パッと一度に幕を開けたほうが、それは劇的な効果がありますからね。
じつはこの間、アメリカでの国際会議でヤイター氏に会った。彼はUSTR(通商代表部)の代表だったとき、日本に対して猛烈な批判をしていたでしょう。ところがいまは農業大臣で、私にこういうんです。
「とにかく竹下(登・首相)さんは農業12品目の自由化という大変なことをよくやってくれた。まことに立派だった。竹下さんに比べたら、ヨーロッパは何もしてくれない」
会議にはヨーロッパの連中も出席していたんですが、ヤイター氏は彼らの面前で竹下さんと日本の態度を評価したわけです。しかし、日本がそこへいきつくまでには長い時間がかかっています。日本が何年か前に一挙に自由化をしていたら、アメリカはもっと感謝したと思うんですが、日本の社会情勢と社会構造の関係で、「ドラマティック・アンド・ドラスティック」なことはなかなかできない。それは民主主義の欠点でもあるし、同時に利点でもあると思うんですよ。独裁者の国だったら「開放!」と一言いえば開放だけど、そうはいかないところが民主主義の長所なんです。
ただ、「ドラマティック・アンド・ドラスティック」というアメリカの要求に対して、日本の態度は「トゥー・リトル、トゥー・レイト」で小出し小出しでやってきた。
アメリカ側にすれば日本は叩けば動く、叩かなきゃ動かないとなる。たとえば自動車電話の交渉でも、はじめは絶対ダメだといっていたのが、ガンガン押せばアメリカの要求が通ることになりましたね。
ある日本の政治家がいっていたんですが、ダメだといったら死んでもダメだといわなきゃいかん、それなのに、絶対ダメだといいながら、ずるずると交渉して、最後になると政治的決着と称してちょっと譲るようになる。そこでアメリカは、日本は押しまくるにかぎる、ふつうの交渉ではラチがあかないと考える。そうした気分はますます強くなってきたと思うのです。
(Vol. 14に続く)
WAC「21世紀へ」より抜粋