箱根で日米財界人会議が開かれたときのことだ。日米の為替レートについて、盛田はアメリカ側の代表であるブルメンソール財務長官と激しく議論を戦わしたことがある。ブルメンソールが、日本は円安を誘導していると主張したことに対して、盛田は徹底的に反論したのである。ふたりの議論があまりに激しかったため、日本側の代表たちはあぜんとしてしまったほどだ。
中には、客人であるアメリカ代表にあんな激しい言い方はよくないと忠告する人もいた。日本的な感覚では、慎み深く控えめを良しとし、正面切って反論するようなことはいけないことと考えられていたのである。しかし、日本側代表が驚いたのは、むしろその後の出来事を見たときであった。先ほどまで激しく応酬していた盛田とブルメンソールが、テレビのインタビューに仲良く並んで答え、冗談を言い合っているのだ。当時の日本人の感覚では、これまた信じられない光景だったにちがいない。
「日本人の中には、意見に食い違いが生じると、友情もそこまでと考える人が多い。しかし、欧米人は、相手を友だちだと思えばこそ、とことん議論し、徹底的に思うところを説明しようとする」(『MADE IN JAPAN』)
盛田は日本人の慎み深く、言うべきことをはっきり言わない性格を欠点であるとし、だからこそ、日本人は世界で友人を持てないのだと指摘する。お互いを理解し合うためには、意見の違う人間とこそ議論を戦わせないといけない、と言うのである。そして、日常的に意見の違う人と議論することが大事であるとも。
意見の違う人と話してこそ進歩がある
盛田は意見の違う人を尊重する。むしろ意見の違う人ほど大切にすると言ってもいいだろう。意見の同じ人ばかりが集まっても進歩はないと考えるからである。この考えに従い、ソニーにはさまざまな人間が集まっている。
同じ意見の人が何人集まってもいいモノは生まれない、という気持ちが盛田にも、井深にも強くあった。だから、ソニーという会社は非常にモノが言いやすい雰囲気がある。盛田は井深とも人前でも平気で激論を交わし、あのふたりは仲が悪いのかと思わせたこともある。しかし、それはふたりが本当に信頼し合っていたからである。盛田と現会長の大賀の関係も同じである。また、多くの会社で見られる派閥や学閥みなものがソニーにはまったく見られない。
盛田本人も誰に対しても率直に言うタイプであったが、相手に対してなんでも言ってもかまわないと思わせる雰囲気がある。
出井伸之(現ソニー社長)もこう語る「盛田さんという方は、なにを言っても許してくれるという感じがあった。だから、僕も若いときから随分生意気に言いたいことを言わせてもらった。それが良かったのですかね。言いたいことを言わないタイプは盛田さんは嫌いですから」
率直に発言する盛田は、そのことで多くの人と仲良くなっている。前述したブルメンソールもそのひとりであり、キッシンジャーもそのひとりだ。キッシンジャーは、あるパーティーで盛田と同席し、ストレートに発言する盛田に好意を持ったのだと語っている。
コミュニケーションするための努力は怠らない
なによりもコミュニケーションを大事にする盛田は、そのための努力も怠らない。あるとき、スイスのダボスでの会議に出席するとき、英語ができてスキーのうまい若い社員をスタッフとして同行させるよう、松本哲郎(現ソニー国際調査部統括部長)に、盛田から指示があった。
「会議がオフのときに、スキーをしながら、各国の代表と話をしようと思っていたのですね。そのとき、英語とスキーのうまい社員がひとりいるだけで、会話の内容も違ってくるわけですからね」
コミュニケーションをより良くするためには、共通の話題があったほうがよい。このときは、それがスキーだったわけである。さらに盛田はこうしてできた交流を非常に大事にした。そのために、盛田のオフィスのコンピュータに友人・知人の趣味や誕生日などもインプットされているのだが、その数は7千人に上るという。そして何かがあると必ず、カードを送ったり、礼状を書いたりしている。
「私が盛田さんから教えられたことのひとつが、礼状は自筆ですぐに出すということです。盛田さんは礼状を秘書任せでなく、すべて自分で書かれていた。それもかなりの数です。やはり、もらった方はうれしいですよね。受取る相手が喜ばれるような文面を考えに考えて書かれていましたからね。すごいと思いますね」(出井伸之)
「ソニー・マガジンズ 盛田昭夫語録より」